伯父は2年前に100歳で亡くなりました。
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第2次世界大戦中、
兵士として中国広東省に送られ、
被弾し右腕を失い、
さらに両目の明を失いました。
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当時、伯父は20代半ばで、
ちょうど私の息子の年齢。
今の時代なら
仕事をし、
趣味の話で友達と飲み明かし、
恋愛したり、
今後の人生の夢を描く年代です。
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そんな大人未満の年代で
戦争の最前線に駆り出され、
生きて戻れはしたものの、
腕と明と、
おそらくは
希望を失ったのではないでしょうか。
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でも、
陸軍病院に入院中、
運命の交差がありました。
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病院で看護師として働いていたのが
20歳前後の伯母(母の姉)でした。
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伯父の親族は伯母に
縁談を持ちかけたようです。
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母方は女ばかりのきょうだいで、
末子だけ男。
祖父は祖国に貢献出来ていないという気持ちからか、
反対する祖母を説得し、
伯母を嫁がせたのだそう。
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傷痍軍人というと手厚い年金があるという印象がありますが、
それは後の話で、
当初は補償もなく、
暮らし向きは厳しいものだったそうです。
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ですが、
伯父(と伯母)は短歌に出会い、
生きがいを見出したのです。
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伯父は何冊か歌集も出しました。
宮内庁で開かれる歌会始にも参加したことがあります。
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私の知る伯父は穏やかで
思慮深く、
いつもニコニコとしていました。
伯父の短歌は
日々の暮らしをうたったものが多く、
戦争について触れることはあっても、
嘆いたり恨むような短歌を見たことはありません。
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でも、
本当のところはどうだったのかわかりません。
20代半ばの理不尽な痛みや疵、
もしかしたら押し殺した悲哀や憎悪が、
伯母と暮らし野菜を育て猫を飼い子を育て、
そして短歌を詠むことで、
100年の間に昇華されたのかどうか――。
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そんな伯父の短歌が
生前所属していた「心の花」の会員の短歌で作る
「心の花百人一首」に取りあげて頂けることになり
不思議なご縁で
編集部の方から私の元に
ご連絡を頂いたのでした。
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「心の花」は佐佐木信綱氏が中心になって
明治31年に創刊された短歌雑誌で、
現在は佐佐木幸綱氏が編集発行人を務めています。
短歌に疎い私ですが、
会員に俵万智さんを発見しました。
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8月15日は終戦記念日。
伯父の短歌を胸に1日を過ごそうと思います。
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伯父の短歌は、
前向きな生を感じる歌が多いように思います。
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でも、
伯父の生涯を思いつつ読むと、
ときどき違った読み方が
できるようなできないような…(素人ですのでご勘弁を)
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戦争は絶対に繰り返してはいけないもの。
それを約束する気持ちで読み返しています。
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春の野に光みなぎり若草をまさぐれるわが瞼明るき
(田中長三、『二葉ぐさ』)
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PS.伯父が亡くなる少し前まで看護・介護し、最期まで支え続けた伯母の歌集です。伯母は今97歳。ベッドの上で短歌を作り、時々地元紙に掲載されています。
伯母の歌集「運命(さだめ)のままに」
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