8月15日。伯父の短歌に献杯

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伯父は2年前に100歳で亡くなりました。

第2次世界大戦中、

兵士として中国広東省に送られ、

被弾し右腕を失い、

さらに両目の明を失いました。

当時、伯父は20代半ばで、

ちょうど私の息子の年齢。

今の時代なら

仕事をし、

趣味の話で友達と飲み明かし、

恋愛したり、

今後の人生の夢を描く年代です。

そんな大人未満の年代で

戦争の最前線に駆り出され、

生きて戻れはしたものの、

腕と明と、

おそらくは

希望を失ったのではないでしょうか。

でも、

陸軍病院に入院中、

運命の交差がありました。

病院で看護師として働いていたのが

20歳前後の伯母(母の姉)でした。

伯父の親族は伯母に

縁談を持ちかけたようです。

母方は女ばかりのきょうだいで、

末子だけ男。

祖父は祖国に貢献出来ていないという気持ちからか、

反対する祖母を説得し、

伯母を嫁がせたのだそう。

傷痍軍人というと手厚い年金があるという印象がありますが、

それは後の話で、

当初は補償もなく、

暮らし向きは厳しいものだったそうです。

ですが、

伯父(と伯母)は短歌に出会い、

生きがいを見出したのです。

伯父は何冊か歌集も出しました。

宮内庁で開かれる歌会始にも参加したことがあります。

私の知る伯父は穏やかで

思慮深く、

いつもニコニコとしていました。

伯父の短歌は

日々の暮らしをうたったものが多く、

戦争について触れることはあっても、

嘆いたり恨むような短歌を見たことはありません。

でも、

本当のところはどうだったのかわかりません。

20代半ばの理不尽な痛みや疵、

もしかしたら押し殺した悲哀や憎悪が、

伯母と暮らし野菜を育て猫を飼い子を育て、

そして短歌を詠むことで、

100年の間に昇華されたのかどうか――。

そんな伯父の短歌が

生前所属していた「心の花」の会員の短歌で作る

「心の花百人一首」に取りあげて頂けることになり

不思議なご縁で

編集部の方から私の元に

ご連絡を頂いたのでした。

「心の花」は佐佐木信綱氏が中心になって

明治31年に創刊された短歌雑誌で、

現在は佐佐木幸綱氏が編集発行人を務めています。

短歌に疎い私ですが、

会員に俵万智さんを発見しました。

8月15日は終戦記念日。

伯父の短歌を胸に1日を過ごそうと思います。

伯父の短歌は、

前向きな生を感じる歌が多いように思います。

でも、

伯父の生涯を思いつつ読むと、

ときどき違った読み方が

できるようなできないような…(素人ですのでご勘弁を)

戦争は絶対に繰り返してはいけないもの。

それを約束する気持ちで読み返しています。

春の野に光みなぎり若草をまさぐれるわが瞼明るき

(田中長三、『二葉ぐさ』)

PS.伯父が亡くなる少し前まで看護・介護し、最期まで支え続けた伯母の歌集です。伯母は今97歳。ベッドの上で短歌を作り、時々地元紙に掲載されています。

伯母の歌集「運命(さだめ)のままに」

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